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プロフィール

山下功

Author:山下功
International Network Go Organization President
NPO法人囲碁文化継承の会 理事長
オール慶應囲碁の会 会長
ふなばし囲碁協会 会長
山下塾 塾長
浄土真宗僧侶

毎年千葉県、東京都の幼稚園児・小学生400人超に、仲間たちとともに囲碁入門を指導しています。

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将棋   2011.05.31

 今日は将棋に縁のある日である。八千代から家に帰ったら第69期将棋名人戦5局1日目が放映されている。つい放送時間一杯まで観てしまう。それからコナミスポーツで泳いで帰ったらクローズアップ現代で中国の将棋天才少女を取り上げていた。「中国では将棋熱が高まり、学校の授業にも取り入れられるほどの人気が出ている。一人っ子政策で受験競争が過熱するなか、脳力アップになると期待されているのが大きな理由だが、さらに「お願いします」で始まり、「負けました」で終わる礼儀作法も、文化大革命で失われた儒教の精神を体現していると注目されている」と解説にある。家に帰る前には北福祉センター協議会の場で知り合ったセンター将棋部部長から相談の電話があった。前にふなばし囲碁協会の現状を説明し、将棋も船橋市に将棋協会を創ったらと奨めていた。それを受けてか、市内の三つの将棋グループと交流戦をやる運びになった。ついてはどう組織するか知恵を貸せと言うことである。市内小中学校では殆ど囲碁将棋クラブの名称である。囲碁と将棋の指導者が手を取り合えば小中学校に囲碁・将棋熱が必ず広がる。
やりましょうと意気が合った。
八千代にて
CIMG2366.jpg

囲碁・将棋同時対局   2010.12.02

北福祉センターの利用登録者は約1000人である。船橋には福祉センターが5か所ある。これらセンター間で交流が盛んになればと発想した。その手始めに囲碁クラブで五センター親善対抗戦を考え、北福祉センター囲碁クラブのN氏に相談した。N氏はその企画を諒として積極的に他の四センター囲碁クラブに働きかけ第一回親善対抗戦を実現させた。五つの福祉センターの市民交流の先駆けになるので船橋市長カップを申請して認められた。
そのことを北福祉サンター将棋クラブが聞き、囲碁ができるのであれば、将棋でもやってみたいとクラブ長のS氏から相談があった。
今日、同行して将棋でも市長杯カップの申請をすることとした。
H氏と将棋の話をしていたら共通の知人の話になった。その知人連の中で思い出深いのは小池重明氏である.
アマ最強と謳われ、賭け将棋で生計を立てる真剣師としても伝説的な強さを誇った男である。小池重明氏については団鬼六、宮崎国夫両氏の著書に詳しく載っている。よく秋葉原の七条兼三サロン(囲碁将棋プロと味の良いアマの集うサロン)に遊びに来ていた。手空きになった時、将棋盤と碁盤を並べて将棋と囲碁の二面同時に打ち、指した。将棋は私が二枚落ち、囲碁は彼が9子のハンデである。
将棋は鬼のように強かったが囲碁はヘボの小池氏、囲碁は山下、とそれぞれ得意種目で勝っていた。
破天荒な生き方をした小池氏であったが、わたしとの付き合いでは可愛げのある男であった。
ひょんなことから懐かしい人を思い出させてもらった。
TS3O0074.jpg

勝負は時の運   2009.06.15

たまたま将棋名人戦第6局の放送を観ていた。
大内延介九段が出ていて、初めて聞く秘話を聞いた。
当時珍しい穴熊戦法で勝ちまくり、昭和50年中原誠
名人との34期名人戦を戦った時の話である。
3勝3敗の後の第7局は有名な一局である。
2日制の初日で大内断然優勢になり、名人位が
移ったといわれ、2日目の大内勝勢の時、痛恨の71角
を打ち、持将棋になり指し直しの結果、中原が名人位を
防衛した。
今日のテレビで当時の対局の写真が出た時、大内は
生涯言うまいと思っていたがと、あの時対局場の羽沢
ガーデンでビアガーデンからの酔客の声が聞こえ、
「数手先の手を打ってしまった」と語った。
そのあと気がゆるんで話してしまったと苦笑していた。
勝負師は負けるのは自分であり、他の言い訳は
言わない。
含羞を含んだ大内さんの表情を見て、あの時の悔しさを
抜けた清々しさを感じた。
「勝負は時の運」とはいえ、あのあと中原は通算15期
名人を勉め、大内さんには二度とチャンスは訪れなかった。

大山名人書

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