プロフィール

山下功

Author:山下功
International Network Go Organization President
NPO法人囲碁文化継承の会 理事長
オール慶應囲碁の会 会長
ふなばし囲碁協会 会長
山下塾 塾長
浄土真宗僧侶

毎年千葉県、東京都の幼稚園児・小学生400人超に、仲間たちとともに囲碁入門を指導しています。

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結婚記念日   2016.11.17

結婚したのが東京オリンピックの年であるから53回目の結婚記念日を迎えたわけである。もう53年経ったのかと過ぎ去った時の速さに驚いている。折しも今日のよみうり寸評にジャネーの法則を例にとった文章が出ていた。年を取るほど1年が短く感じられることを心理学的に解明した説である。子供より大人のほうが過ぎた年月を早く感じるのは5歳の子の1年と50歳の大人の1年は5分の1と50分の1の差といえばもっともらしい。だが遊びに夢中で「もうお家に帰るの」と感じる子は一日を短く感じ、さしたる事しかやらなかった大人が一日を長く感じるのはどう解釈するのであろうか。あれをやらなければ、これも気にかかると思っているとあっという間に一日が終わってしまう。一日を短く感じる生活は新鮮さに満ちているとも言える。祝いの膳には鯛と蛤と思い、日身さんには内緒で船橋卸売り市場で買ってきて冷蔵庫に忍ばせておいた。暫らくして見つけた日身さんが「この蛤、国産じゃない」と騒いでいたが、あとの祭りで国産か否か自分には全く分からない。プレゼントは6種の園芸用シクラメンとバラの花束とした。シクラメンは店の人に選んでもらったが葉の多いのが良いということを初めて知った。
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結婚式   2016.08.27

山下塾OBの一駿君の結婚式に招待された。表参道にある結婚式、披露宴専門の会場で今日は人前結婚式である。待合室では若い人ばかりで少し違和感を感じていた。披露宴の席にご両親が挨拶にみえ、折々に書いた私の手紙を大切にしまってあることなど披露された。また一駿君からのコメントにも彼の人生に少なからず影響を与えたようでそれは望外な喜びである。予告なしに突然新郎のお色直しの介添え役に指名されたのには吃驚した。娘の介添え役でバージンロードを歩いたことはあるが、こんなことは初めての経験である。一駿君の明るい性格を映して宴は笑いに満ちたものであった。友人たちで作ったビデオ、イベント、スピーチを通して社会人として立派に成長していることが分かって嬉しかった。主賓の上司の祝辞がありきたりでなく、また一駿君の仕事ぶりがよく紹介され、ご自身の結婚生活での心得を交えた祝辞に感銘を受けたのでお開きの時に気持ちを伝えた。上司、同僚の雰囲気から貴社は大いに伸びると感じたので株主であり続けます、と冗談を言ったのは蛇足。
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結婚記念日   2015.11.17

52回目の結婚記念日である。記念日を忘れたことは無いが、プレゼントはしたりしなかったりである。娘が毎回何かしら工夫をして祝ってくれる。今年は幕張のホテルの食事に招待してくれた。家人が好きな中華料理店である。父親の中華料理店の評価の基準は 麻婆豆腐と知っているのでコースに入れてあった。これが思いがけず美味しかった。娘があらかじめ結婚記念日の食事、と伝えていたので、ピンクと黄色のガーベラの花を一輪ずつプレゼントされ、記念写真を撮ってくれた。気張らずに市内のいつもの店でいい、と言っていたが、こうしてあらたまった空間で娘と3人でする食事は何物にも代えがたいひと時であった。娘に従って遠出してよかった。
プリンス

結婚式   2015.03.07

家人とH君の結婚式、披露宴に出席した。新郎のH君は小学校1年生から6年生まで山下塾に通っていた。中学、高校は野球部で活躍し、山下塾からは遠ざかっていたが、大学で囲碁が正規授業に採り入れられてからは講師の吉原由香里さんの助手をつとめたりしていたから、囲碁から離れていたわけではない。社会人になりシステム開発の仕事をしている。1年に1回程度催す山下塾OB・OGの集まりには時々顔を出してくれてはいたが、よく2人揃って招待してくれたな、と正直驚いた。新郎プロフィール紹介欄の将来の夢の項目に「囲碁の先生」と書いてあり、世界一面白いゲーム「囲碁」を先生のように子ども達に伝えていきたい、と私にとってこの上ないコメントが添えられてあった。又家人には、美味しいご飯を作っていただき囲碁仲間と一緒に食卓を囲んだこと、大好きだった柴犬の暢(ノン)とともに鮮明に覚えています、と書かれてあった。そんなことがあったか二人ともとっくに忘れているのに、小学生の短い期間ながら山下塾での思いが焼付いていたのであろうか。すっかり嬉しくなりよほど飛び入り祝辞を、と思ったが差し控えた。親や親戚の肩書等一切出さず、若い二人が何カ月もかけて企画したさわやかなH君らしい結婚披露宴であった。
寛

お別れ会   2015.01.05

インフルエンザで関節がやられた時、腰が抜けて立つにも力が入らない経験をしてから、介護、葬儀の話題が増えてきた。そんなことからチェックアウト時に、ここでお別れ会ができるか、家人が聞いている。軽く聞いたつもりが担当者がやって来た。結婚式、金婚祝いでここを使わしてもらい気に入っているゆえ、お別れ会もここでやれたら、と説明している。そこへ当の自分が顔を出したら、担当者は「ご当人ですか?」、と驚いた風である。故人のお別れ会のことかと思っていたらしい。元気なものが自分のお別れ会を打ち合わせるのは珍しいのかもしれないが、近頃は生前葬もよく耳にするからその限りではないかもしれない。説明を聞いて、どんなお別れ会ができるか大体イメージできた。よく考えれば、いつ死ぬかによってお別れ会ができるかどうか、判らない。今であれば招く人は100人くらいは頭に浮かべられる。10年先だと世間との縁も薄くなっているだろうから招待する人数は減ってくるであろうし、生きている人も僅かになっているであろう。お別れ会の場所を先に決めるのは、囲碁でいう「手順前後」である。先のことを慮って決めておくのは座右の銘の「不将不迎、応而不蔵」に悖ることでもある。話のタネに、ということにしておこう。1六本木

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